昨日のマンガに書いた歌で「台湾」に触れた
ことで昔のことを思い出しました。
私の母は家庭内ではなにかにつけて私たち
(私・弟・父)をケチョンケチョンに罵って
叱り付けるのですが、よその人が父や私たち姉弟に文句を言うと、その「よその人」に
スゴい剣幕で反撃します。母のその心理は
今回のマンガ内の「過去の私」と同じかしら。
この心理は、その根底に愛があるからこそだと
思います。母がよその人に猛然と反撃するのも
他人の攻撃から愛する家族を擁護するためで
しょうし、私が中国批判に熱くなって反論する
のも馴染み深い中国に愛着を覚えていて名誉を
まもりたい一心からのことだと。
でも、若い頃のあの愛国行動も、現在の私の
目で見直すと浅い考え、浅い思いであった
ように思われます。批判に耳を傾けなかった
としても「誰かから批判的な見かたをされて
いる」という事実が変わるわけでもないし、
批判の原因が消えて無くなるわけでもない。
外からの批判を気にしすぎて右往左往しろ
という意味ではなく、冷静に外部の声に
耳を傾けることは内部から成長する機会になるものだと思います。
旦那とつきあい始めたばかりの頃は、旦那から
中共批判を聞くたびに怒り出して時には喧嘩に
なったりもしました。
ところが旦那の考えが「中共が大嫌いだが
中国全体を否定するつもりがないどころか
中国が大好き」であることも解ってきて
ことで昔のことを思い出しました。
私の母は家庭内ではなにかにつけて私たち
(私・弟・父)をケチョンケチョンに罵って
叱り付けるのですが、よその人が父や私たち姉弟に文句を言うと、その「よその人」に
スゴい剣幕で反撃します。母のその心理は
今回のマンガ内の「過去の私」と同じかしら。
この心理は、その根底に愛があるからこそだと
思います。母がよその人に猛然と反撃するのも
他人の攻撃から愛する家族を擁護するためで
しょうし、私が中国批判に熱くなって反論する
のも馴染み深い中国に愛着を覚えていて名誉を
まもりたい一心からのことだと。
でも、若い頃のあの愛国行動も、現在の私の
目で見直すと浅い考え、浅い思いであった
ように思われます。批判に耳を傾けなかった
としても「誰かから批判的な見かたをされて
いる」という事実が変わるわけでもないし、
批判の原因が消えて無くなるわけでもない。
外からの批判を気にしすぎて右往左往しろ
という意味ではなく、冷静に外部の声に
耳を傾けることは内部から成長する機会になるものだと思います。
旦那とつきあい始めたばかりの頃は、旦那から
中共批判を聞くたびに怒り出して時には喧嘩に
なったりもしました。
ところが旦那の考えが「中共が大嫌いだが
中国全体を否定するつもりがないどころか
中国が大好き」であることも解ってきて
そこで初めて「中共=中国人ではなく、
中共を批判されたからといって中国人が
侮辱されたわけではない」と納得することが
でき、そのおかげで「外部からの批判を聞くと
更に客観的にものごとを見ることが出来ると
信じるようになりました。
私は中国人としてやはり中国が大好きです。
悪いところは悪いと受け止め、今日よりも
明日が良くなるように努めたいと思います。
信じるようになりました。
私は中国人としてやはり中国が大好きです。
悪いところは悪いと受け止め、今日よりも
明日が良くなるように努めたいと思います。